真宗では、よく「愚」(ぐ・おろか)という字を目にする。
「(念仏者は)愚者になりて往生す」(法然上人)
「愚禿釋親鸞」(親鸞聖人)
しかし、人間(ワタシ)は、自分が【愚か】とは認めない。
人(アナタ)より秀でていると見たいからか、、、
人(アナタ)を自分よりも下に見下しているからか、、、
いずれにせよ、その判断はワタシがくだしている。
人間(ワタシ)は、ワタシを【愚か】と思っているのだろうか・・・
どんな時に【愚か】と認めているのだろうか・・・
いずれにせよ、その判断はワタシがくだしている。
法然上人は、我執や欲が棄てられない自分の姿に気付くことが
阿弥陀仏の救いにつながると述べられた。
親鸞聖人は、念仏停止の朝廷の命令を受けて越後に流罪の身になられている時に、
自らの無力さを自覚する愚者こそ、阿弥陀仏の救い(他力)に頼るしかないという
深い内省のうちに【愚】と認められた。
『相対性理論』で有名なアインシュタインが語った言葉に惹かれた
「無限なものは2つあります。
宇宙と人間の愚かさです。
宇宙については、断言できませんが」
なるほど、考えてみれば宇宙は無限なのかもしれない。
それと同等に人間の【愚か】さも無限なのか・・・
天才は言った、「宇宙については断言できませんが」
裏を返せば、人間の【愚か】さは、無限だと断言しているということだ。
そうか、無限の【愚か】なワタシなのか・・・

