昭和20年8月6日8時15分・・・
広島に投下された一発の原子爆弾。
街と共に一瞬にして消えたたくさんの命。
そうした壊滅的な状況の中で
奇跡的に焼け残ったピアノ。被爆ピアノ・・・
それを託された広島の調律師・矢川光則さんは、
修理・調律、自ら4トントラックを運転して
全国に被爆ピアノの音色を届けて回ることに。
「70年経って被爆体験者は段々いなくなっていて、あと10年したら殆どいなくなる。けれど被爆ピアノは、その音色でずっと原爆のことを伝えていくことが出来る」と矢川さん。
被爆から75年を迎える今、
ピアノの音色で被爆の記憶を伝えていきます。
宝田院に二度お越しになられた、矢川光則氏をモデルにした映画『おかあさんの被爆ピアノ』が上映されます。