ほうでんいんのあゆみ
ホーム>宝田院のあゆみ

宝田院のあゆみ

宝田院の開山は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人の教えを受け伝えられた関東六老僧の一人で西国念仏弘通開祖明光上人によります。
明光上人は、藤原鎌足公の直系である藤原頼康を父とし、源義朝の娘を母とします。叔父にあたる源頼朝公より、鎌倉最宝寺を賜り、住職となられました。その後西日本への浄土真宗布教のために関東より海路で備後鞆の浦へ。山南に移動し、光照寺を建立され布教にあたられました。

(※此処まで前・明光史)

晩年、新発意良誓(第二世)を連れ1320年頃、中山南市場に“法伝院”を建立して隠居されました。“法伝院”の寺号は明光上人の院号に由来します。明光上人隠居により、「院」が寺名につくとされます。
明光上人は、京都佛光寺第七世了源上人の師とされています。了源上人は、『算頭録』(後述)の中で、明光上人より教化を受けたこと、真宗の声明作法に関する指導を明光上人より受けたことなどについて触れられています。
本願寺第三世覚如上人の長男・存覚上人との真宗教義による交流は、宝田院所蔵の『一流相承絵系図』の本文を存覚上人が書染されたことや備後における法華宗との争論の際、建武4年(1337年)に明光上人の招きで、備後国にお越しになられ、明光上人の為に『顕名鈔』を著されたことなどから、うかがい知ることができます。

(※此処まで後・明光史)

※宝田院では、現存する史料・史実により、明光上人を「前・明光」、「後・明光」と位置づけます。

幾度かの伽藍焼失を経て、森迫に移転しますが、教念(第十五世)の代、慶長7年(1602年)に本願寺東西分派の際に東本願寺へ帰属し、同年現在の常石に寺基を移しました。
この頃、東本願寺第十三代宣如上人より『御消息』(後述)を戴いています。この御消息の中では当山の当時の寺号は”法伝院”とされています。この後、現在の“宝田院”に寺号が変わりました。そのことに関しては、明運(第十八世)著「無量山宝田院事変物語』に「明祖(開基明光)の法伝は泥中の蓮華のごとし」と記され、現在の“宝田院”の由来を宝田(苦難貧窮を哀れみ、恵み施せば福果を得る福田のたとえ)に咲く“蓮の花”に喩えられています。
古代インドでは泥沼から茎を伸ばして咲く美しい蓮華は「清浄」の象徴で、五濁の世俗を超越している聖者の姿に喩えられています。
嘉永2年(1849年)明成(第二十四世)の代に、尾道から築後約150年を経過した堂宇を移築し、本堂としました。これが旧本堂です。
明瑞(第二十五世)は、明治5年(1872年)に現在の常石小学校の前身である啓蒙所「介如校」を境内に設立し、2代目校長を勤められました。明岳(第二十六世)の代には、三原から庄屋屋敷であった建物を移築し、旧庫裡とし、旧境内の様相となりました。
明勝(第二十八世)は門徒会館を昭和46年(1971年)、現在の庫裡を平成2年(1990年)に建立しました。
老朽化した旧本堂を、入寺した明誠とともに平成12年から再建し、平成16年(2004年)10月23日に現本堂が落慶、明誠(第二十九世)が宝田院の法灯を継承しました。
平成21年(2009年)6月、神原眞人氏の寄進により老朽化した鐘楼堂がご修復されました。
平成22年(2010年)に矢川光則氏のご協力で被爆ピアノによる報恩講が音楽法要形式で厳修されました。
平成23年(2011年)秋、親鸞聖人750回御遠忌と法然上人800回御遠忌を記念して、東京国立博物館で開催された『法然と親鸞展』に宝田院が所蔵する『明光上人像』と『一流相承絵系図』が出展されました。

明光上人像(めいこうしょうにんぞう)
【県重文】絹本著色 縦一一二・○ 横九四・○

相模(神奈川県)最宝寺、備後光照寺、宝田院の開基・明光の影像。
明光は源頼朝の招きで鎌倉に一寺を建立したという。
黒衣黒袈裟に七宝荘厳の装飾を描く躰座に坐し、右前方を凝視、顔容はやや剥落しかけている。
像の前に低い机をおき、三冊の折帖が置かれている。『仏説大無量寿経』 『浄土論』 『観経義疏』と墨書されている。背後の背もたれは、浄土教を体得した者が、その象徴として座することが許される席を表現したものとされる。

真宗声明のあゆみ

六時のつとめをはぶきて三時となし、光明寺和尚の礼讃にかへて、正信念仏偈等を諷誦せしめたまへり。また念仏ものうからむときは、和讃を引声して、五首また七首をも諷誦せしめたまへりと、先師明光よりうけたまはりき。了源著『算頭録』より

「六時のつとめ」とは、一日六回、阿弥陀仏をはじめとして諸菩薩を礼拝するために用いられた「往生礼讃偈」のお勤めのことです。
このお勤めは七高僧の一人善導大師(光明寺の和尚)の撰です。このお勤めをやめて、現在のお勤めの形式となっている、朝事・日中・夕事の三時のお勤めに代え、その際には「正信念仏偈」などをお唱えさせになったということです。
また、念仏のみでは形式が整わないときには親鸞聖人のお書きになられた「和讃」を五首引き・七首引きで唱えさせられたと、先代である明光上人からお聞きしました、ということです。

『算頭録(さんずろく)』 真宗教団としての法要儀式が形成されるようになった様子を伺える書物。
佛光寺・了源上人(真宗佛光寺派七世)が元徳元年(1329年)に著す。
この『算頭録』から、当時の真宗のお勤めの源流と、そこに明光上人が深く関わられていた史実が確認できます。

明光上人は、浄土真宗の声明作法の源流にも関わっていたとされています。
関東門弟教団においては、早くから正信偈・念仏・和讃の読誦が行われていたことは、佛光寺了源上人の『算頭録(さんずろく)』に示されています。
そこには、経論の偈頒や妙句にはむつかしいものがあって、それを唱えることができない人も多いので、唱え易いように和讃を作り、諷誦しやすいようにするべしと、先師明光より承ったのであると記されています。
親鸞聖人の『教行信証』の行巻末に載せられている七言六十行百二十句からなる「正信偈」と五百数十首に及ぶ和讃、なかでも「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」および念仏は、聖人の教えを受け継ぐ真宗の法要儀式とその声明(しょうみょう)にとって、重要な要素と考えられます。
佛光寺七世・了源上人は、宝田院開基の明光上人の法灯を継ぐ方で、その様々な教えを明光上人より受けられたといわれています。そのため、明光上人本人は、京都・佛光寺にはほとんどおられませんでしたが、了源上人により、その法灯の継承から佛光寺六世として位置づけられています。

参考文献 岩田宗一著『声明の研究』・『声明は音楽のふるさと』(法藏館) 『真宗声明の源流』

一流相承絵系図(いちりゅうそうしょうえけいず)
【県重文】紙本著色 縦四一・○ 全長三一五・○

備後山南教団における念仏の相承と入信者を肖像画で記入することによって示したもの。まず巻頭に序題の文を墨書し、ついで僧尼十六人の像を上下二段に並べて描いたもの。
序題の文はその筆跡から、本願寺三世覚如上人の長男、存覚上人の染筆とされる。嘉暦元年(1326年)製作。

光明本尊(こうみょうほんぞん)
【県重文】絹本著色 縦一六九・○ 横一〇五・○

「光明本尊」というのは、名号から放たれる光明(四十八条)のなかに、釈迦、弥陀二尊や、高僧、聖徳太子とその侍臣、先徳などが描かれた絵画である。
中央に九字名号、向って左に六字名号、向って右に十字名号と、三つの名号が配されている。
向かって左側がインド・中国の高僧方、七高僧に加えて菩提流支三蔵や小康法師、法照禅師等が描かれている。
向かって右側が、皇太子聖徳(聖徳太子)をはじめ、日本の浄土教を会得した高僧方の連座像、その中には朱色の内衣を着用する明光聖人像も描かれている。
十五世紀初め備後に教化を弘めた明光一門の内で、宝田院第二世の良誓、明尊、性尊と相承する人々による制作ではないかと考えられる。

和朝太子先徳連座像(わちょうたいしせんとくれんざぞう)
絹本著色 縦一一○・二 横三七・二

和国の教主・聖徳太子の侍臣は、蘇我大臣馬子、小野大臣妹子ら六名、先徳の十二名の配置も源空像を起点に左から右へ交互に上方に至る形式。
源空・親鸞・真仏・□□(源海)・了海・誓海・明光・信光と次第するものの、あとの像主三名は不明である。十四世紀半頃の制作だろう。

東本願寺第十三世宣如上人御消息(ごしょうそく)

当時の宝田院二十八日講に送られたお手紙。
「備後国沼隈郡 法伝院」と記されている。
1602年東西分派後の頃、東本願寺御歴代から送られた書物。宝田院が当初から東本願寺に属していたことが分かる。
【宣如上人】
東本願寺第十三代。祖父・顕如は織田信長と石山合戦で戦う。父・教如の代で東西本願寺に分かれる。教如の第2子。

宝田院歴代住職

  • 第一世 明光
  • 第二世 良誓
  • 第三世 明實
  • 第四世 明察
  • 第五世 明良
  • 第六世 明順
  • 第七世 明崇
  • 第八世 明雄
  • 第九世 明垂
  • 第十世 明宅
  • 第十一世 明秋
  • 第十二世 明鐘
  • 第十三世 明秀
  • 第十四世 明圓
  • 第十五世 教念
  • 第十六世 明念
  • 第十七世 明教
  • 第十八世 明運
  • 第十九世 明岸
  • 第二十世 明乗
  • 第二一世 明観
  • 第二二世 明秀
  • 第二三世 明存
  • 第二四世 明成
  • 第二五世 明瑞
  • 第二六世 明岳
  • 第二七世 明秀
  • 第二八世 明勝
  • 第二九世 明誠

私達の宗旨は浄土真宗です。

【ご本尊】 阿弥陀如来(立像)
【正依の経典】 仏説無量寿経(大経)
仏説観無量寿経(観経)
仏説阿弥陀経(小経)
【宗 祖】 親鸞聖人
顕浄土真実教行証文類(教行信証)
【宗派名】 真宗大谷派(東本願寺)

ページの先頭に戻る