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2021年11月13日

「法義相続」に思う 5     黒田 進 師

前回の終わりに「言葉にまでなった真宗」と同時に「風景にまでなった真宗」ということを申しました。このようなことを思いましたきっかけは、もう何年前になりますか、当時、日本だけでなく世界の人々を震撼とさせたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」がありました。その頃、ある新聞記者が、オウム真理教に入信した青年にインタビューした記事が公になりました。

 「なぜ君たちは、人生の問題にいろいろ悩んだ時に、お寺へ相談に行かなかったのか」と聞いたところ、「お寺は、そんな自分の悩みを聞いてもらったり、相談するようなところだと思いもしなかった。お寺は風景でしかなかった」と答えたのでした。

 私は、この記事にとても心動かされたことを思い出します。彼らがどうしてあのような恐ろしい事件を引き起こしたのか、ということも考えさせられたのですが、この「自分たちには、お寺は風景でしかなかった」という返答が、心に強く響いたのです。彼らは、それまでの生育史の中で、お寺とつながる縁がなかったのだ、と言ってしまえば終わりですが、彼らの言葉は、現状のお寺のあり方、既成仏教のあり方に対する厳しい批判でもあるのだと感じたのです。

 もちろん、生き生きとしたお寺のあり方を目指して、様々な取り組みをしているお寺がたくさんあります。地域に根ざした活動をしておられるお寺の存在も知っております。私たちの大谷派教団でも、「同朋会運動」という名の信仰運動を、教団をあげて長年取り組んでいます。皆さんのお寺や備後組でも、いろいろな聞法会、研修会が開かれていることでしょう。

 ただ、仏教界の姿を総体的に見るならば、「風景でしかないお寺」という彼らの実感が、現実を言い当てているのかもしれないと思います。時代社会に、世の人々に本当に開かれたお寺になっているのか、という問いかけには、耳を傾けねばと思います。

 ただ一方で、この「風景でしかないお寺」という言葉を聞きながら、私は「まてよ、風景にまでなってきたお寺、ということがあるのではないだろうか」ということを思ったのです。つまり「風景にまでなってきた」ということは、その背景に長い長い人々の歩み、歴史があったのだということです。これはたとえば、農村や漁村、山村、あるいは都市や町など、それぞれに風景があります。私たちが、いろんなところに観光に出かけるのも、各地の美しい風景に出会いたいということがひとつあるのでしょう。

 その各地の風景は、実は長い人々の生活、歴史、先人達の苦労がつくり上げてきたものなのでしょう。これは洋の東西を問わない、事実なのではないでしょうか。どれほどの歴史の積み重ねが、人々の努力が、今日のような各地の風景、私たちの住む在所の風景をつくってきたことか。そのことを思ってみたとき、私は「風景にまでなってきたお寺」あるいは「風景にまでなってきた真宗」ということを思うのです。

 もうすでに亡くなって随分経ちますが、『龍馬が行く』や『坂の上の雲』など歴史小説を多く書かれた司馬遼太郎さんが、かつて『週刊朝日』に「街道をゆく」という歴史探訪を連載しました。私も若い頃、それを楽しみに週刊誌を買ったことを思い出します。全国各地の旧い街道を、挿絵画家と一緒に歩きながら、その土地の人々の生活に触れたり、歴史を掘り起こしたりする、旅日記のような内容でした。

 その「近江路編」で、私の住む滋賀県が取り上げられました。「東海道線で近江に入ると、そこに広い田園が広がり、あちこちに村落が点在する。そして、その中心に必ずお寺の高い屋根が見える。近江は真宗寺院が多い。昔は、村の若い娘は、お寺で裁縫やお花を習ったりして、嫁入り前の行儀見習いをしたものだ。そういう生活を通して、何をするにも『阿弥陀様のおかげで』という言葉がかわされていた・・・」と、このような内容が書かれてありました。司馬さんは、真宗門徒の家に生まれたということです。

 司馬さんが書いているように、確かに近江、私たちの湖北地方も真宗寺院の多いところです。一村一ケ寺どころか、一村二、三ケ寺というところも珍しくありません。私も今のお寺にご縁があったころ、どうしてこんなにお寺が多いのかと、びっくりしました。しかも、ほとんどが真宗寺院なのです。そこには、蓮如上人や教如上人の布教、ご苦労のあった歴史的背景もあるのでしょうが、真宗の教え、念仏の生活を相続してきた真宗門徒の歴史があったのだと実感するところです。

 ほとんどの家には、一間の仏間があり、そこに大きな仏壇(お内仏)が安置され、毎日のお給仕がされています。子ども達も、物心つく前から、祖父母や両親に抱かれてお内仏に向かい「マンマンチャン、アンするんやで」と教えられて育ちます。いつの間にか『正信偈』をあげられるようになります。それこそ「自然(じねん)に」です。

 各家やお寺で仏事・法要が開かれると、人々は肩衣(かたぎぬ)と数珠とお勤めの本の入った袋(湖北地方では、これを「おたいや袋」といいます。)を持って集まります。お寺や家に到着すると、まず半紙に包んだおさい銭を仏前にポンと投げて、ご本尊に合掌し、それから同行に「よう、おまいりやす」などと挨拶します。家の法事であれば、当家の人に「今日はご丁寧に、ご案内をいただきまして、、、」と挨拶します。必ず、挨拶の前にご本尊に手を合わせるのです。おさい銭を半紙に包むのは、湖北独特の風習のようです。

 私は、入寺してから既に50年が過ぎたのですが、前述したような日常生活を通して思いますのは、つくづく「風景にまでなったお寺」あるいは「風景にまでなってきた真宗」ということです。それこそ何百年という歴史の中で形づくられた風景なのだということです。生きている風景です。

 今日では、いろんな事情で少なくなってきたのですが、この地方のお寺では日曜学校が盛んでした。全国的にもそうだったのでしょう。私の寺の日曜学校は、先年亡くなった先々代の住職が、昭和の初年に開いたもので、今では90年ほどになるでしょうか。日曜日になると、おたいや袋を持った子ども達がお寺に集まり、上級生が鐘を撞きます。お勤めも子ども達が役割を決めて「ちかい」や『正信偈』をあげます。一年生の子も先輩達の中で、いつの間にか上手にあげられるようになります。子ども報恩講や新年会、花まつりや夏の地蔵盆(この地方では、子どもの祭りとして地蔵盆が盛んです。京都市内も伝統行事として盛んなようです。お地蔵さんは、子どもの元気な成長を護ってくれる仏様として信仰されているのです。)など、季節ごとに楽しい行事があります。

 私は思うのですが、どの地域にも「言葉にまでなってきた真宗」「風景にまでなってきた真宗」ということがあるのでしょう。そのことを改めて感じますとき、そこに相続されてきた歴史、先人達の努力、何百年という生活の積み重ねがあるのだと思います。そのことの大切さ、意義深さということです。これは何ものにもかえがたい宝物だと思うのです。今日の時代、その宝物の値打が見失われがちになり、次世代に相続していくことが困難な状況が、急速に進んでいる感じがするのは、この地域だけではないのでしょう。

 だからこそ、現代に身をおいている私達自身が、その相続されてきた歴史の意味に目覚め、次世代に相続していく、そのような使命というか、大切なお仕事があるのではないかと思います。皆さんは、どのように感じておられるでしょうか。

 

長浜教区満立寺前住職

 

 

 

 このシリーズは、一応これでくぎりとしたいと思います。私の思っていることを書かせていただきました。このようなコロナの状況なので、皆様それぞれにご苦労なことと推察いたします。ご自愛ください。

                           黒田  進

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