我聞如是 わたしは、このようにお聞かせいただきました、、、
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2020年7月19日

邑久光明園交流会に園児と参加して

※2019年11月21日、岡山県国立ハンセン病療養所邑久光明園での交流会に常石すくすくハウス園児と参加した際に、宝田院住職がお話しした内容です。

常石すくすくハウス年長児と参加して

 本日の交流会は山陽教区の三須がお話させていただきます。平生はここから車で二時間半、広島県福山市常石という造船の町のお寺で住職を務めさせていただきながら、保育教諭として認定こども園常石すくすくハウスの仕事に関わらせていただいております。今日は、5歳児年長さんうめ組の子ども達と一緒に光明園さんに参らせていただきました。午前中は社会交流会館で学芸員さんのお話を聞いてハンセン病について学ばせていただき、お昼はふれあいホールにて昼食交流をさせていただきました。子ども達の帰りの関係で2時までの時間ですが、子ども達を含めて交流会に参加させていただきます。

まず、今からするお話を頭の中で思い描いてみてください

南の海にぽっかりと浮かぶ島があります。

そこには優しくて平和を愛する者達が暮らしていました。

子ども、若者、お年寄り、男も女も、

だれもが一生懸命、今を生きようとしていました。

 

その島の海の向こうには、大きな国がありました。

ある日、その大きな国にひとりの男の赤ちゃんが生まれました。

とても元気のいい赤ちゃんはすくすくと育ち、ちょっとやんちゃな男の子に育っていきました。

 

そんな男の子の周りにいる大人達が、いつもこう言っていました。

「南の島にはこわい島だ」「危ない武器をもっているかもしれない」「こわい者達がたくさんいる」

 

その話を聞いて大きくなった男の子は、大人達の言葉を信じ、南の島は怖いところだと思うようになりました。

やがて男の子は仲間を連れて南の島へ乗り込んでいきました。

 

平和に暮らしていた南の島、大きな国からやって来た男の子達に突然襲われ、島中のみんなが次から次へとやっつけられてしまいました。

子どもも大人もお年寄りも、、、

 

平和な優しい歌声が響いていた南の島は、静まりかえり、言葉では言い尽くせない怒りと何もできなかったという残念さ、悲しさの空気が漂うだけでした。

しかし、その島の悲しみに光があたることはありませんでした。

 

それどころか、島を襲い、宝物を持ち帰った男の子と仲間達は、「英雄だ」「正義の味方だ」といつまでもいつまでも語り継がれていったのでした。

 

 頭の中で今のお話が思い浮かびましたか?子ども達、今のお話を聴いてどう思いましたか?

今のお話、題名を当ててみてください。ヒントは、男の子の仲間です。最初の仲間はイヌ、次の仲間はサル、最後の仲間はキジ分かりましたか、「桃太郎」のお話です。でも今のお話は、平和な南の島の鬼達から見たお話です。でもこんなお話は私達のまわり、世界中のあちこちにたくさんあるのではないでしょうか。皆が住んでいるこの国でも今から75年前に戦争が起こりました。大人達の言葉にまどわされ、影響を受けて、子ども達は自分を正義の味方だ、正しいことだ と思うようになりました。戦争の話だけではありません。人と人との関係の中で相手を、いやな奴と思い込んだりいい人だと思い込んだり、、、その結果、いじめをしたり、無視をしたり、大切にしたいことは自分が勝手にいい奴、悪い奴と相手を見るのではなく、相手と出会い、交流し、話をし、お互いにひとりひとりのかけがえのない人間として出逢っていくことが大切かな生きる道を懸命に願い、求めている一人の同じ人として出逢っていくことが、大切だと思います。

『もののけ姫』より

子ども達も知っている、ジブリ映画『もののけ姫』に登場するエボシのたたらばで全身包帯に覆われて鉄砲作りをする人たちもハンセン病の人たちを表しているとされています。宮崎駿監督は今から20数年前、後に『もののけ姫』という映画になる、日本を舞台に時代劇を企画されました。たくさんの思いが混ざりすぎてしまって、映画ストーリーのアイデアが行きづまってしまった宮崎監督は、ノートを持ってウロウロ歩き回っているうちに、宮崎さんの家から15分のところにある「多摩全生園」というハンセン病療養所の前に来たそうです。初めて中に足を踏み入れられました。それから何度か訪ねて行くうちに、ハンセン病の事実に大変な衝撃を受けられました。何度も資料館へ行くうちに、”おろそかに生きてはいけない”と感じられました。『もののけ姫』の中でハンセン病を患う集団の長が言った台詞を紹介します。作ったのは宮崎監督ですから、長の台詞は、宮崎監督のハンセン病を取り巻く世の中に対する思いの代弁でしょう。「あの人は、わしらを人として扱ってくださったわしらの病を恐れず、腐った肉を洗い、布を巻いてくれた 生きることは まことに くるしく つらい 世を呪い 人をのろい それでも生きたい」とあります。たたらばのエボシ御前は、ハンセン病を患っている方たちを「同じ人間として」受入、居場所や仕事を提供したのです。宮崎監督は全生園に行くことによって「おろそかに生きてはいけない」と感じられました。私達も「生きていくこと」について考えていかなければなりません。そして私達は、様々な社会問題が起こるこの娑婆世界に身を置く者と自覚していかなければなりません。

それでは最後に、みんながよく知っている「桃太郎」の続きを想像した絵本を紹介して終わります。

絵本『それからのおにがしま』(作:川崎 洋  絵:国松 エリカ 岩崎出版) 朗読

はい、今日のお話はおしまい

形として実際に行き交う橋だけでなく、ひとりひとり ヒトとヒトの間に

心の橋が架かることを 願っています。

                                        合掌

                        邑久光明園交流会  2019.11.21 常石すくすくハウス年長児聴講

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